女人禁制の聖山、世界遺産アトス山(アトス自治修道士共和国)

アトス自治修道士共和国は、ギリシャ国内にありながら治外法権が認められている場所で、修行僧が女人禁制のもと中世から続く厳しい修行生活を送っています。外国人の立ち入りについては事前の巡礼許可が必要です。ギリシャに入国して、ギリシャ外務省宗教課が発行する特別な査証を取得しなくてはなりません。入国には数々の条件があり、申込書を提出してから査証が発給されるまで約1ヶ月を要します。入国方法も特異で、許可された者だけを小舟に乗せ、急崖の下のヒランダル修道院やクセノフォントス修道院の前に設けられた船着場から上陸させる方法を採っているようです。

テッサロニキやその周辺の町で、観光クルーズに参加して、その船上からクセノフォントス修道院や聖パンテレイモン修道院などを眺めることができるようです。

ギリシャ、アトス自治修道士共和国/聖山・アトス山

ギリシャ、アトス自治修道士共和国/聖山・アトス山

ギリシャ国内にありながら治外法権が認められているアトス自治修道士共和国は、コンスタンディヌーポリ総主教庁の管轄下にあり、現在も約2000人の修行僧が女人禁制のもと、中世より受け継がれた厳しい修行生活を送っています。アトス山周辺は正教会の聖地となっており、「聖山」の名でも呼ばれています。アトス山周辺には現在20もの修道院が所在し、東方正教の一大中心地になっています。アトス山の名は聖地となっている半島の全域や、修道士たちの共同体についても用いられています。

エーゲ海に臨むアトス山はユネスコ世界遺産/アトス自治修道士共和国

エーゲ海に臨むアトス山はユネスコ世界遺産

アトス山およびアトス自治修道士共和国の所在するアトス半島は、海からの交通手段しかなく全長約45Kmの細長い岬となっていて、その沿岸は断崖絶壁となっています。アトス自治修道士共和国は、エーゲ海に臨む急崖と険しい山と深い森に囲まれており、他の地域とは隔絶された一種の秘境となっています。1988年にはアトス山としてユネスコによって世界遺産に認定されています。

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アトス山とアトス自治修道士共和国の歴史

アトス山とアトス自治修道士共和国の歴史

862年にテッサロニキのエフスィミオスが、アトス山で活動する修道士の集団の長となり、修道院設立の先鞭をつけたそうです。870年頃には、アトス半島の付け根にあたるイエリッソスに、ヨアンニス・コロヴォスが最初の共同居住型の修道院を建設しています。アトス山は修道院の建設が活発に行われるようになった。1001年には46の修道院を数えるほどになり、多くの修道院が半島の外に荘園を抱える大領主の様相を呈していったようです。

アトス山修道院が最大の危機を迎えたのは20世紀になってからのことです。1923年の希土戦争の終結によってローザンヌ条約が締結され、トルコ、ギリシャ間で住民交換が行われ、ギリシャ政府は移住した住民の居住地を確保するため、アトス山の土地を大幅に没収しました。さらに1944年に枢軸国であったブルガリア王国がソビエト連邦の侵攻を受けた際には、アトス山修道院は共産主義からの弾圧を受けほぼ壊滅状態に陥りました。

アトス山修道院は女人禁制・入国禁止、家畜の雌の入来さえ禁止

アトス山とアトス自治修道士共和国の歴史

現在アトス山修道院はヨーロッパ各地からの支援によって宗教的な重要性を保ちつつ存続しています。この地に女人禁制が敷かれたのは1406年のことで、それ以来今日まで600年以上に渡って厳格に守られ続けています。女性と単独の未成年は入国禁止となっていて、それは家畜の雌の入来さえ禁止するという徹底したものだそうです。歴史的には、難民や漂流した女性を受け入れたことはあったという事ですが、こうした女人禁制に対して欧州議会は2003年に男女均等指令に従って撤廃するようアトス山修道院に要請しているようです。

(画像引用:1,2,3,4,5

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