ブラジル・サンパウロは日本と縁が 標高800mコーヒーの都

日本からブラジル・サンパウロへのアクセス・観光ガイド

日本からブラジルへの直行便はなく、北米などで乗り継いで行く事になります。成田からダラス・フォートワースまでの飛行時間が約11時間半、ダラスからサンパウロまで約10時間です。中東・ドバイ経由や韓国・仁川経由でロサンゼルスから乗り継いで行く方法もあります。サンパウロ(グアルーリョス)国際空港から市内まで約25Km車で約1時間です。ブラジルのリオデジャネイロからは国内線で約1時間でサンパウロのコンゴーニャス空港へ。市内まで車で約20分です。

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ブラジルサンパウロ州は南半球の亜熱帯地域にあり標高約800mの高原地帯、年平均気温は20℃ほど

サンパウロ州はブラジルの南東部に位置し,ブラジルの経済活動の3分の1が集中しています。州都のサンパウロ市は南半球の亜熱帯地域にあり標高約800mの高原地帯にあります。南回帰線上にありながら気候は温暖で年平均気温は20℃ほどです。ですが一日のうちに四季があるといわれる程で、夏姿もあれば冬服の人も見受けられ街を行く人々の服装も様々です。夏の日中はかなりの暑さですが夕方から夜にかけては凌ぎ易く,冬でも日中はかなり温度が上がり東京のように寒さが続くことはないようです。

ブラジルサンパウロはコーヒー栽培の歴史が深くコーヒーの都

1830年頃よりサンパウロ州各地でコーヒー栽培が始まり、サンパウロはサントス港へのコーヒーの送り出し基地として急速に発展しました。1867年にイギリスが経営するサンパウロ鉄道のサンパウロ駅として建設されたこのルス駅はコーヒー貿易で栄えたサンパウロを象徴する歴史的建造物です。1888年の奴隷制度廃止令によって多数の外国人移住者の導入が始まり、サンパウロはコーヒーによる好景気と移住者導入により「コーヒーの都」として世界中に知られるようになります。

サンパウロのリベルダージは日系ブラジル人が多く居住、日本企業も数多く進出

サンパウロのリベルダージと呼ばれる東洋人街は広場から南にのびるガルボン・ブエノ通り一帯に日系、中国系、韓国系の商店やレストランが軒を連ね毎週日曜日には東洋市が開かれています。日系ブラジル人の約70%の約100万人が在住しているサンパウロの世界最大規模の日本人街地区で、様々な業種の日本企業も数多く進出しています。世界でも有数の規模の日本人学校であるサンパウロ日本人学校もあり、サンパウロと日本は縁が深い事が分ります。

サンパウロのイビラプエラ公園には日本館が、池に錦鯉も

1954年にサンパウロ市制400周年祭を記念してサンパウロ市南部に造成された120ヘクタールの広大なイビラプエラ公園には,同祭を記念して日系コロニアが寄贈した数寄屋造りの日本館があるそうです。桂離宮を模して作られ数々の美術品が展示されているほか、日本的な生け花や茶道等の会場として利用されているそうです。1980年の5月からはブラジル錦鯉愛好会の協力で、池に錦鯉が放たれ人気を呼んでいるようです。日本館の前にはブラジルで他界した多くの日本人移住先駆者の霊を慰めるための開拓先没者慰霊碑が建てられています。

ブラジルのカーニバル!サンパウロのカーニバルはチームで競う!

ブラジルのカーニバルといえばリオデジャネイロとが思い浮かびますが、カーニバルパレードはブラジルの各所で行なわれていてサンパウロでも大きく賑わいます。サンパウロのカーニバルパレードはアニェンビー公園のサンボドロモで行なわれ、夜の10時半頃から朝の6時半頃まで続くそうです。カーニバルはリーグ制になっていて、チームごとに採点が行われ1部、2部リーグのその年の優勝チームが決められるのだそうです。