アユタヤ王朝の都としてタイの中心であり続けた都市であり、歴史の目撃者でもあるアユタヤの観光をツアーを使わず自力で行った旅行記です。
アユタヤからワットマハタートにバスで向かいました。遺跡めぐりが大好きな私にはうってつけの場所でした。エレファントライドは高いので値切りましょう!
戦勝記念塔からもアユタヤ行きのバスでの行き方
朝8時におきバスターミナルに向かおうと思いましたが、アユタヤ観光のガイドブックによれば、戦勝記念塔からもアユタヤ行きのバスがでているらしいことが書いてありました。
戦勝記念塔は私が泊まっていたホステルから一駅先にあり、そっちのほうが楽だと思い戦勝記念塔駅いくことにしました。戦勝記念塔周辺は雑貨屋や食堂でごったがえしていました。
ツアーで行けば手配してもらえますが、戦勝記念塔駅からアユタヤ行きのバスを探そうとするが、なかなかみつかりません。いろいろの人に尋ねるも、向こうだよといわれるだけで、まったくわかりませんでした。
軍服を着た軍人に尋ねてみたところ、彼は親切にアユタヤ行きのチケットブースまで案内してくれた。
戦勝記念塔駅からアユタヤまで
戦勝記念塔から約10人乗りのミニバンでいざアユタヤへ。アユタヤには10年ほど前に行ったことがありましたが、ほとんど忘れてしまっていました。
アユタヤ到着後、貸し自転車屋を探しました。しかしなかなか見つかりません。
アユタヤにて3時間500バーツで車をチャーター
そこへ車をチャーターしないかと男性が声をかけてきました。
始め3時間で900バーツ要求してきました。高すぎるよと言うと、いくらなら払うかとたずねてきました。
私は400バーツと回答。その後のネゴシエーションで3時間500バーツに値下げ成功しました。
自転車で迷うよりは、500バーツで安全のたびのほうが賢いと思いました。
ワット・マハータートの木の根に囲まれた仏像の頭
アユタヤで私が一番見たかったのはワット・マハータート。ワット・マハータートの見所は今は木の根の間に埋め込まれた仏像の頭です。
アユタヤのワット・マハータート 頭部がない仏像
そのほかアユタヤ陥落によってビルマ軍によって破壊されま仏像の頭部がない仏像並んでいました。なぜビルマ軍は仏像の首をはねなければいけなかったのでしょう。
昔に起きた出来事とはいえ、文化的なものを破壊することには反対です。文化というものは歴史を超えて受け継がれるものであり、それを破壊することは、歴史文化を破壊するのと同等に思えました。「アユタヤ観光前に知りたい王朝の歴史 仏像に頭がない理由」の記事では、アユタヤの歴史や、ビルマ軍(コンバウン朝の軍隊)に攻められてしまった出来事など、アユタヤがどのようにして今の状態になったのかについてまとめています。
ワット・ヤイ・チャイ・モンコンの涅槃像
アユタヤを建都した初代ウートン王がスリランカへ修行に出た僧達のため、1357年に建てたワット・ヤイ・チャイ・モンコン。タイの各地にある涅槃像の中で、このアユタヤのワット・ヤイ・チャイ・モンコンの像はそれ程大きくはないそうです。元々は金箔で施されていたこの涅槃像も、破壊時期に剥がされてしまったそうです。通常は頭が北で顔が西向きとされている寝姿が、ここでは何故か逆で頭が南、顔は東向きになっているようです。
アユタヤのエレファントライドの料金は値切りできる!?
そのほかいくつかの寺院を廻り、エレファントライド場所のに連れて行ってくれました。
象に乗ってみたい気持ちはありましたが、始めエレファントライドの担当者が提示した金額は1500バーツでした。
私は学生でお金もないというと、料金を1000バーツにしてくれました。
それでも高いといって、帰ろうとすると、いくらならいいを聞いてきました。
600バーツを提示すると、向こうもそれに納得してくれました。料金交渉はしてみるものです。
今まで撮ったことのないタイガーと写真もしました。
無料かと思うと、300バーツ要求してきました。とりあえずお金がないといって100バーツ渡しました。そしてエレファントライドへ。思ったほど心地よくありませんでした。
アユタヤの仏像
アユタヤでは様々な仏像のかをを見ましたが、どれもが違って見えました。きっとぶつぞ運日は作った人の気持ちが入っているのでしょう。
優しいそうな顔もあれば、厳しそうな顔ものもありました。遺跡めぐりが大好きな私にはうってつけの場所でした。