ホイアン・来遠橋は別名日本橋!?日本人と深いかかわりが!

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ベトナムのホイアン、来遠橋の旅行ガイドです。ホイアンはベトナム中部の都市、ダナンの南方30キロにある古い港町です。

ユネスコ世界文化遺産にも登録されているホイアンの旧市街にあり2万ドン札の裏側にも印刷されている来遠橋は別名日本橋とも呼ばれており、日本人が建設したと伝えられている橋です。

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川側よりホイアンの町を望む/ホイアン・ベトナム

チャンパ王国(192年 - 1832年)時代からの古い港町ホイアンは、16世紀末以降、ポルトガル人、オランダ人、中国人、日本人が来航し国際貿易港として繁栄し、1601年には当時の政権が、徳川家康に書簡を送って正式な国交を求め、江戸幕府との取り引きが急速に拡大ました。

するとホイアンには大規模な日本人街や中国人街が形成され、非常に繁栄を誇りましたが、間もなく江戸幕府の鎖国により日本人の往来が途絶えると、オランダ東インド会社の商館も閉鎖されるなど、繁栄は失われていきました。

その後も様々な人的要因・地形的要因によりホイアンは衰退し、国際貿易港はホイアンからダナンへと移って行きました。

しかしそのことによりベトナム戦争時代にも街は破壊されることなく、町並みは残り、当時の繁栄ぶりを今に伝えることとなりました。

1999年(平成11年)に「ホイアンの古い町並み」としてユネスコの世界文化遺産に登録されています。

来遠橋/ホイアン・ベトナム

来遠橋は街そのものが世界遺産であるベトナムのホイアン旧市街、チャンフー通りとグエン・チ・ミンカイ通りを結ぶ場所にある、幅3m、長さ18mの瓦屋根付きの太鼓橋です。

593年に日本人が架け、当時の日本人街と中国人街を結んでいたとされています。ということはこのあたりが当時の日本人街。

ここには最盛期には1000人以上の日本人が住んでいましたが、鎖国により帰国を余儀なくされ、日本人街は衰退したそうです。

地震の多い島国日本から来た日本人は、「地震にも耐えられる強い橋を」ということで、この来遠橋は非常に頑丈な作りになっています。

橋の袂のサルの像/ホイアン・ベトナム

この橋は通行だけなら無料ですが、橋の中央には祠が設けられていて、その祠の中へ入るには有料となっています。

また橋の中に祠があることから「橋寺」とも呼ばれています。

ここには神様が祀られているというよりもどちらかというと「魔物」を封じ込めてあるそうです。

その魔物は暴れだすと日本に地震をもたらし、ベトナムに洪水をもたらすんだとか。

また、この橋にはちょっと変わった木像があります。よく見るとサルとイヌの像。

これは申年に建築が始まり戌年に終わったことから、橋の両端には申と戌の木像があるんだそうです。

待機する観光客用のシクロ/ホイアン・ベトナム

ホイアンは街全体が世界遺産となっており、ただ街を歩いても、そのあたりのどの建物を見ても、どこを見ても絵になります。

街全体もそんなに広くはないので徒歩でも十分に見て歩けますが、来遠橋の近くには観光客用のシクロがたくさん停まっているので、これに乗って街を一周してみるのもいいでしょう。

また個性的なお土産物屋もたくさんあります。アーティスティックなお店やおしゃれなお店もたくさん。

壁に開けられた穴のような不思議な空間のお店は昔の住居をそのまま店にしたようです。

船がカフェ/ホイアン・ベトナム

こちらの港に停泊している船。実はカフェなんです。船内でゆっくりジュースやコーヒーを飲む事ができます。

見た目よりも船内はなかなかおしゃれな感じでした。

ホイアンは世界遺産の街ということでおもな産業は観光ですが、ベトナムの他の都市、ホーチミンやハノイの人たちと比べるととても穏やかで優しい人が多い印象です。

また観光客と見ると非常に高い値段をふっかけてくるようなベトナム人も他の都市に比べるとずいぶん少ないような気がします。

まだまだ他にも見所がたくさんのホイアン。次回はぜひ皆さんが直接行って体験してきてください。

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